菓子箱

新訳 すこやか生活

隙あらば自分語り

普通に生きるということ

 

東日本大地震から11年が経った。

宮城で生まれ育った私は、そこで被災した。ギリギリ自宅こそ無事だったが、津波の被害は生活圏まで及んでいた。あの頃のことは今も事細かに覚えているけれど、それをあえて今ここでひとつひとつ詳しく書こうとは思わない。

ただ、友人の新築の家が丸ごと流された話や同級生が津波で亡くなった話、ひっくり返ったままの乗用車を横目に潮臭くてボコボコになった歩道を自転車で走り通学したこと。地震の数十分後に一瞬だけ繋がったワンセグに映った迫る津波の映像の恐ろしさは、当時の私たちには理解できないものだった。

思い出されることひとつひとつが、今思えばかなり、それはもうかなり異常な状況ばかりだったけれど、当時はもう起きること全てを淡々と受け入れ続けるしかなかったし、多分みんなが無意識下でいろんな感覚を麻痺させていた。あまりにも理解の範疇を超えたあの状況を前に、逞しく立ち向かったひとりひとりが本当に強かったなぁと思う。

津波でかつての同級生が3人亡くなった。私は3人とも同じクラスになったことはなくて、特に関わりもなかったけれど、それでもさすがに堪えるものがあった。

私の学校の卒業文集のテーマは「10年後の自分へ」だった。ある時ふと思い立って、3人の文を読んでみると、そのうちの1人が「10年後の僕は全く想像がつかないけれど、きっと普通に生きていると思います。」といった内容の文章で締めくくっていた。

"普通に生きていると思う"

これを書いた当時に読んで気に留めた人がどれだけいただろうか。"生きていればいつ何が起きるかわからない"なんてことは誰しも漠然とは思っているだろうが、やはりどこか他人事だし現実味なんてない。健康に生きてきた人間ならそれで当然だ。

しかし本当に、いつ何が起きるかわからないのだ。それをこんなにも生々しい形で突きつけられて、私は心臓を握りつぶされるような気持ちになった。

大きな夢を掲げたり、面白さを求めたり、大多数が少し浮ついた文章を書き連ねる中、彼の文集の内容は正直すごくありきたりで、当たり障りのないものだった。そう見えた。

けれどあれから11年、私は誰よりも彼の文集のことをくっきりと心に刻んで生きている。

毎日、今日が最後だと思って生きろ!日々全力で行け!みたいな話は正直無茶だと思う。なんだか四方八方に疲れておかしくなりそうだ。

それでも。生きているうちは、せめて心の真ん中にあるものにだけでも、蔑ろにせず、正直に向き合って暮らしてゆきたいと思う。

それを私の「普通に生きる毎日」にしたいなと思う。

 

大型連休があるとだいたい帰省するが、有料道路から見える沿岸部には今も変わらず枝のない寂しい木がポツンポツンと並んでいる。まだまだ手が届いていない場所も沢山あるだろう。

取り壊したり交換するほどではないが、当時の状況がわかるような傷の残るあれこれも生活の中で時折目にする。

取り戻せるもの、もう2度と取り戻せないもの、取り戻すには途方もない時間がかかるもの。今日を生きている私たちは、問いかけ続けるそれらを無視してはいけないし、雑に息してる時間なんてないのだ。

もう会えない人にも、この身が終わる日が来ればきっとまた会う。それが起こりうる最も遠い日でありますように。彼らが歩めなかった時代を丁寧に観測し、来るいつかの手土産にしたい。

 

今日私が生きているこの世界に君もいてくれてありがとう。同じ時代に息をしてくれてありがとう。

 

靴紐を結び直す。

私はこれからも私を生き抜く。