拍手、その心は
先日、初めて「ライブ中継付き」の映画を観た。過去のライブ映像を映画館で流す、というものは確か観たことがあるが、リアルに中継で観るというのは初めてでとても新鮮だった。
ところでこんなご時世になって、ライブ会場では「声を出さないでね」というルールが厳しく掲げられるようになった。
実際にそのルールのもと行われた数千人規模のライブに行ったことがあるが、やはり少し寂しかった。この曲は客がここを歌うのが定番なのに!合いの手を入れるのに!ちくしょー!と思いながら拳を上げたりした。
ただ、寂しさを感じながらも「声を出さない」それ自体はスッと行うことができた。体を動かしたり手を挙げたり、身振り手振りで意思表示をすることは出来るからだ。
ここで、今回のライブ中継だ。当然声は出せないわけだが、映画館という場所柄、立ち上がることも、手を挙げることも許されない。応援上映とも違うし、なんかすごく独特な空気で。
過去映像ならまだしも、リアルタイムで観ているライブの曲終わりに拍手のひとつもできないという状況に私はかなり心苦しさを感じた。
もちろん私たちがこの映画館の中で拍手をしたとしてそれが彼らに聞こえるかといえば聞こえないのだけど。そういうことではなくて。
思い返せば1人自宅で観ていた配信ライブでも、曲の終わりには必ず拍手をしていた。
ライブを観る、拍手をする。
それ自体はごく当たり前にしてきたことだし、観る側としての礼儀のひとつであることもまた事実ではあるけれど、こんなにもはっきり「私は今これに感動してる!拍手させてくれ!」って自分の意思を感じたのは初めてだった。
何の縛りもなくリアクションできる場では、多分反射的にしているから、そういう気持ちでやっていたとしてもここまではっきり認識しないと思うの。
この日拍手を贈れなかった相手は私の神様、今月末に惜しみなく届けられる機会を手に入れているので、それまで私も自分のやることをしっかりとやる。ぞ。
拍手というのはきっと、私の思っていた以上に体温とエネルギーの詰まったものなんだろう。
痛くなるほど手を叩きたくなるものにたくさん出会いたいし、自分もまた誰かのそれになれたなら。讃えあって生きてゆきたい。
そしていつか来る人生の終わり、私の魂が身体を抜けたら、はざまの精神世界で拍手で見送られたいな〜なんて思う。それに値する生き方をしたい。
なんていうか、エヴァの最終回みたいな‥‥
エヴァの最終回‥
???
それはそれで謎エンドだな‥
オメデトウ‥