菓子箱

新訳 すこやか生活

隙あらば自分語り

僕はここにいていいんだ!

というのは、かの有名な碇シンジ君のセリフだけれど。

生きていく中で「ここにいていいんだ」と思える瞬間がきっとセーブポイントで、その数が多いほど私たちは少し息がしやすくなるんだろう。

あの頃また1人になって、これまで以上に底なしの暗闇に投げ続ける感MAXの活動をする中でうっすら立ち込めてくる「私何やってんだろ」感。

私ごときの人間が作品ひとつアップロードすることに怯える理由なんてどこにもないのに、本当にあの頃は全てが怖くなっていた。だから私が私として存在しないことでそれを揉み消して、「作ったから記録」の感覚を植え付けるように投げ続けた。

ある夜中、突然3件のコメントがついたのを確認したとき、驚きと喜び、少し遅れて恐怖心が湧き上がった。これだからネガ子は。

詳細を開くのを少し躊躇ったけれど、リアクションがある、それ自体がもう勝ちなので、ええいままよ!と開く。(ええいままよ!って現実で言ってる人見たことないな)

ありがたいことに、蓋を開ければそれらは全て好意的なコメントだった。あのとき、明確に「私は音楽をやっていいんだ!」って思った。視界にはキラキラフィルターかかってた気がする。

私のパーソナルなことを何ひとつ知らない人が、純粋な作品の評価としてそう言ってくれた。それが本当に嬉しかった。

憧れの人というのは近いようでものすごく遠い。会いに行けば莫大なエネルギーをくれるけれど、安易に自分と比べようものなら途方もない気持ちになってしまう。けれどきっと彼らもまたこういう瞬間をひとつひとつ積み上げて登って行ったのだろうか。

週末は2年ぶりに無善寺の扉を開いた。2年も空いたとは思えないしっくり感だった。久しぶりにあの空気と距離感でいろんな人のいろんな表現を摂取していたら、「私はここにいていいんだ!」がまたひとつ発生して、この日までがセーブされた。

それぞれにそれぞれのいろいろがある。共有なんてできないし、各自が向き合うしかないことで、1人であうあう言いながら、もがきながら、嫌になりながら、それでもちゃんと歩くために、ここに立ち寄ってはセーブしているような。そんな感じがする場所だ。

 

あと半月したら私もここにまた自分の音を飾りに来る。ちゃんとやんねん。大好きなキャラクターの看板セリフだ。主人公補正なんて私にはかからない。毎日をちゃんとやるだけ。

 

やっていくぞ‥!

 

 

もう名前は変えないぞ‥‥!笑